昭和の上司が言うことにゃ②

中途入社足掛け6年目のGGです。担当は「よろず相談窓口」。シリーズ第2回。

親父の小言と冷酒は後で効く

「冷酒と親の意見は後から利く」「冷酒と親の意見は後薬」とも。「効く」も「利く」もあり。

専門家(識者)の言うことは、あてにならない?

「コンピュータの需要は、世界全体で5台くらいだろう」_トーマス・J・ワトソン、IBM初代社長 1943年

「昨年大きな技術革新が無かったことから考えて、自動車は技術的限界に達したものと考えられる」_『サイエンティフィック・アメリカン』誌、1909年1月2日

「驚くべき発明だ。しかしこれをいったい誰が使おうというのだ?」_ラザフォード・ヘイズ、第19代米国大統領、1876年(電話を見た感想)

「『ENIAC』は、真空管を18,000本使っており、重さは約30トンある。しかし将来のコンピュータは、おそらく真空管を1,000本も使えば済み、重さも1.5トンくらいに収まるだろう」_ポピュラー・メカニクス誌、1949年3月号

「コンピュータに商業的可能性はない」_IBM、1948年

「個人が家庭にコンピュータを置く理由などない」_ケン・オルソン、DEC社長、1977年

山口浩氏(駒澤大学)「リスクの正体!」(2009年)p49~より抜粋。 ネタ本は計量経済学のソフト「SHAZM」のマニュアルとあります。

親父の小言は「大人の知恵」なのか「亭主の好きな赤烏帽子」なのか

雰囲気から分かる通りですが、正論で突破しようとする若手に「今のお前さんには言っても分からないだろうが、それが経験に勝る大人の知恵みたいなもの、将来分かるよ。」みたいに使います。または、部下を納得させるのに困った上司が、「上の指示だからしょうがないっつーの」みたいなことを言って、部下をけむに巻くときにも使えますが、後者は筋違いでしょうね。

場数(経験・段取り重視)で答えを探せる時代だったとは言いませんが。

「上司は経験値も高く、一般的には判断力が優れているはず・・・」というのは事実ですが、問題設定が比較的容易だった時代と今とは違うよなあ。もちろん、その時代に応じた制約や困難があり、解決に求められていた能力や、経験からくる知恵を否定するものではありません。為念。

但し、今思えば「コミュニケーション」と「スピード感」が圧倒的に不足

「故郷の親父の小言を思い出して郷愁(望郷)の念に駆られる」のは別ですが、今思えば「コミュニケーション」と「スピード感」が圧倒的に不足しているな(あくまで、「今思えば!」ですよ。当時は家父長的存在の上司に言われれば、そういうものかと)。

昭和の上司に「今の職場に足りないものは何か」と問われ、「コミュニケーションではないでしょうか」と答えたところ、「何を甘っちょろいことを言ってんだ!」と叱られたことを思い出します。当時の上司は「コミュニケーション」と聞くと「肩をたたき合う友情」みたいな捉え方。今とはそもそも理解が違う。

馬車を何台つなげても汽車にはならない

J.A.シュンペーター(1883-1950)

1883年はK.マルクスが世を去り、J.M.ケインズが誕生した年。

「馬車を何台つなげても汽車にはならない(J.A.シュンペーター)」ことに気づいている上司であれば、「経験の延長線上にあらゆる答えが用意されている」わけではなく「与えられた問題を正確に早く解くことが優先されるステージ」から「問題設定がより重要である世界」に部下を連れて行こうとするはず。

経験から学ぶ大切さに拘りすぎると、その枠組みから脱出できないことに。

ありていに言えば、「若い人の発想を大切にしたい!」という上司がいたとして「その発想を活かす意味や影響を理解し周囲に働きかける具体的な行動等」に繋がらないと、結局【うちじゃ、リスクは取れないよ。基本無理なんだよね】って。これはこれでお決まりのパターン。

“リスクマネジメントにおける「へっちゃらだい!」戦略”(山口浩氏2009「リスクの正体!」p158)などを取れない限り、今までの枠をはみ出すことはできないことになります。

JR舞浜駅開業はオープンから5年後。当時の専門家の多くは、「日本人は飽きっぽいのでリピーターは見込めないだろうと悲観的」。結果はご存知の通り。写真はオープンの年1983年11月。隣の赤い服に複雑な思い。

参考:山口浩教授(駒沢大学)の業績等:https://researchmap.jp/hyamaguchi

JST(国立研究開発法人科学技術振興機構)のリサーチマップより
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